活動日誌−活動日誌

【12.11.10】日本共産党演説会が行われました

佐々木憲昭衆議院議員、日本改革のビジョンを分かりやすく語る

   日本共産党岐阜県委員会は10日、佐々木憲昭衆議院議員を迎えて岐阜市で演説会が開かれ、各務原市からもバスで参加しました。
 佐々木議員は解散・総選挙が目前になっていると切り出しました。大企業の膨大な内部留保やソニーの身勝手な美濃加茂工場の閉鎖などを批判するとともに、消費税に頼らない社会保障の充実・財政危機打開の「提言」を語り、消費税増税を阻止するに、日本共産党の躍進を訴えました。
 「即時原発ゼロ」の実現は、再稼働しなければ電力不足に・・・これは政府の脅しです。大飯原発が再稼働しなかった場合でもピーク時の供給電力に余力があったことなどを語り、日本共産党は原発マネーと無縁な党だから、国にも電力会社にもものが言えます。この党を大きくして「即時原発ゼロ」を実現しましょうと、訴えました。
 また尖閣諸島、竹島、千島列島の領土問題について、これらは日本の領土であり、歴史的事実と道理に立って、外交交渉で日本の正当性を堂々と主張し解決すべきであると訴えました。

かわえ明美比例候補は涙ながらの訴え

   かわえ候補は、高い介護保険料・利用料に苦しむ、ある高齢者の話を紹介しました。介護保険が上がり、少ない年金がまたまた減らされ、その上に利用するときには利用料を支払わなければならず、厳しい生活。この高齢者は2週間に一度ヘルパーさんに来てもらい、2週間分の味噌汁を作ってもらっている。それを大事に大事に毎日温めて食べているが、だんだん煮つまってくるので水で薄めて食べている。長生きはしたくないと語っていたと涙ながらに紹介しました。戦争でつらい体験をして、日本経済の復興に力いっぱい頑張って来てくれた高齢者が、『長生きはしたくない』という世の中間違っています。福祉は人間が生きる権利です。あたたかい福祉の心を実現し、人を大切にする政治に変えたいと、訴えました。

おまたせしました、岐阜3区の候補者は服部よりよしさん擁立

   岐阜3区小選挙区の候補が発表されました。服部よりよしさんです。
 
 服部さんは、1977年横浜市で起きた米軍機墜落事件を語りました。 
 事件発生と同時に米軍から連絡を受けた自衛隊はすぐに救難ヘリコプターを厚木基地から緊急発進させ、事件発生の10分後には現地の上空に到着しました。しかし、救難ヘリは大やけどを負つて救助を求めている被災者を助ける事なく、墜落前にパラシュートで脱出し、はとんど無傷で地上に降りた2人の米軍パイロットを乗せて厚木基地に帰ってしまい、再び飛んでくることはしませんでした。
 火炎が広がり、黒煙がきのこ雲のように立ち上るなか、付近で仕事をしていた宅地造成工事現場の人達による必死の被災者救出活動が行われ、民間人の通報で救急車が到着2人の幼児を含む9人の重軽傷者が病院に運ばれました。病院に収容された3歳と1歳の幼子は、全身大やけどを負い包帯でぐるぐる巻きにされ「痛い いたいよう‥‥」「水、みずをちょぅだい‥」と叫びながら、 「おばあちゃん、パパ ママ バイバイ‥」の声を残して息を引き取り、その後にお母さんも亡くなりました。犠牲者をモデルとした「愛の母子像」というブロンズ像が港の見える丘公園に設置されています。と話しました。いまアメリカ言いなりにオスプレー配備が配備され大きな反対運動になっており、安保の是非が問われています。2度と痛ましい事故をなくすには安保を破棄して対等・平等・友好の日米関係にすることです。そのためにがんばりたいと力強く訴えました。

 

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