活動日誌−活動日誌

【12.11.04】2012平和のつどいに行ってきました。

第五福竜丸のことを・・・66名が群読

   11月3日、日本国憲法公布66年記念「2012平和のつどい」が岐阜市市民会館で行われましたので、行って来ました。
 最初にアーサー・ビナードさんが書いた『ここが家だ ベン・シャーンの第5福竜丸』と『始まりの日』の群読でした。
 『ここが家だ ベン・シャーンの第5福竜丸』は岐阜総合学園高校演劇部の1・2年生の女子14人が・・・この本に初めてであったそうです。1954年3月1日アメリカがビキニ環礁で水爆を爆発させ、第五福竜丸が死の灰をかぶった。乗組員の久保山愛吉さんが亡くなった。人々は「久保山さんのことを忘れない」といった。けれど忘れるのをじっとまっている人がいる。と高校生は澄んだ力強い声で歌い上げました。
 そのあと一般の参加者が加わり『始まりの日』の群読でした。『始まりの日』ボブ・ディランのforever youngの歌詞をビナードさんが日本語に訳した絵本です。
そして、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を忌野清志郎さんの訳詞でうたいました。66回目の日本国憲法公布にちなんで総勢66名が歌い上げました。

 

 

♪風に吹かれて

  どれだけミサイルが飛んだら 戦争は終わるの?
どれだけニュースを見たら 平和な日が来るの?
どれだけ風が吹いたら 解決できるの?
どれだけ人が死んだら 悲しくなくなるの?
どれだけ子どもが飢えたら 何かができるの?

 

原子力の歴史は核兵器づくり、平和のための原子力ではない

  詩人のアーサー・ビナードさんは米国出身。落語の「猫の皿」に出てくる「鼻歌三丁矢筈切り」とはすごく良く切れる刀で切られると、鼻歌を歌いながら歩いていて三丁ほど行ってから気付くのだと・・放射能も知らないうちに被爆し、直ちに影響は出てこないものだ。年齢によって被爆の影響は違う。原子力の歴史はプルトニウムづくりあると。原子力の平和利用とはいらない物をパッケージを変えて売りつけるためにアイゼンハワード大統領が考えたことであり、平和をへとも思わない者が言ったと皮肉った。「ピカドン」ということばは広島の実体験を表現し、生活者が生み出した言葉である。この言葉こそが原爆の本質を表現しているのであり、原子爆弾、核兵器という言葉は本質が隠されている。平和」という言葉を取り返すこと、その足場になるのは日本国憲法であること。そして原発は、松竹梅に分類すると、大飯原発は竹、湯気みたいなものでカモフラージュであり、松の上のプルトニュームは、福井の高速増殖炉もんじゅ、青森県六カ所村これはセットで維持したい。そして大間の三カ所であり、大間を止めて、もんじゅと六カ所を廃炉にしたら成功であると結びました。
 目から鱗の話しがぽんぽん飛び出し、たとえのうまさ、皮肉たっぷりでことばの魔術士、もっと聞きたい!

 

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